「奥能登国際芸術祭2020+」レポート番外編!

珠洲の夜に「ヨバレ」る―

能登半島北端の街、珠洲。そこで開かれていた「奥能登国際芸術祭」を巡った日の夜、私たちは住宅街をさまよっていた。空腹だったのだ。ガイドブックに掲載されている飲食店はどこも閉まっていた。闇に包まれた路地に灯る黄色い看板を見つけた私たちは、誘蛾灯に飛び込むように店の扉を開けた。広い店内の左側に小上がりがあり、先客がカルビを焼いていた。右側は昭和の雰囲気満載のスナック仕様。焼肉屋であり、食堂であり、スナックでもあり、喫茶店でもあるかもしれない、萬屋のような店らしい。

割烹着姿の年配の女性が注文を取りに来る。メニューを検討するまもなく、カルビとホルモンへと誘導される。出てきたカルビはステーキと見紛うほど分厚い。その後も、「甘エビ、食べる?」「カニもあるよ」と仕切られる。当然、勘定が気になるのだが、「お酒を」という注文に未開封の一升瓶が運ばれてきた。その時点で腹を括り、コップ酒をあおるに至った。

どうやら接客も厨房も洗い場も、その女性が一人でこなしているらしい。手が空くと客席にやってきて雑談を交わしては、厨房に戻っていく。おぼろげな記憶をたぐると、名前はテルコさんで、昭和11年(1936年)の生まれ。中目黒とか八王子という地名も聞いた気がする。「能登空港から飛び立つ飛行機には、いつも手を振っとるんよ」と話していたような……。やがて古い写真アルバムを見せてくれたことを思い出し、その1枚のイメージが鮮やかに浮かび上がってきた。モノクロームの画面に、数人の芸者とともに幼女が映っている。幼女は2歳のテルコさんで、実家は芸者の置屋だったという。珠洲はかつて日本海の海運で栄えた港町だった。この写真が撮影されたのが昭和13年ごろだとすれば、日本が戦時体制に飲み込まれていく直前。珠洲が最も賑わっていたころかもしれない。

勘定はきわめてリーズナブルだった。そのうえ、柿と梅干し、塩辛のような珍味までお土産にいただいた。すべて自家製だった。「テルコさんは遠来の客に振る舞うことに無上の喜びを感じていなさる」と翌朝、民宿の女将から聞いた。そういえば珠洲の祭りには、家主が客をご馳走で饗す「ヨバレ」という独特な風習があるという。それをテルコさんなりに受け継いでいるのだろう。無償の好意を一瞬たりとも疑った自分が恥ずかしくなった。

帰り際にテルコさんが持たせてくれたお土産の塩辛のような珍味と梅干

置屋に生まれたテルコさんは、連夜、歌舞音曲が響くなかで育ったのだろう。84歳という年齢にもかかわらず艷やかに微笑む姿は、港町・珠洲の栄華をいまに伝える。珠洲はもう冬に閉ざされたころ。夜の帳が落ちた街で、テルコさんは今夜も遠来の客を待っているのだろうか。(テラコレ 西岡)

・奥能登国際芸術祭2020+ / 石川県珠洲市(会期は11/5で終了)
https://oku-noto.jp/ja/index.html

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