絵画と映像が一体化した作品はどのようにして生まれたのか 「アートプロジェクトの0123」第7回講義レポート

11/30に開催した0123 第7回目の講義は、「映像など多メディア表現の伸長」をテーマに、画家で映像作家の石田尚志さんを講師にお迎えしました。石田さんの作品は、絵画作品が映像化されているものが多くありますが、どのようにして絵画と映像が一体化した作品が作られるようになったのでしょうか。ご自身のこれまでの活動を振り返り、絵画と映像の歴史を紐解きながらお話くださいました。

<はじめに>
これまで、文化庁主催のメディア芸術祭の審査員なども務めてきましたが、世界中の映像の状況を把握しているかというと甚だあやしく、そもそもメディアアーツという名のもと、どこまでがアニメーションで、どこまでが映画で、どこまでがメディアアートなのかを常に議論しながら進めています。自分がそもそも何をやっているのかということ自体いつも悩みます。様々な場所で展示もしてきましたが、やればやるほど、映像とは何かが分からなくなります。
自分は、もともと絵画から始まって、音楽への興味もあって、それらをつなげるものとして、パフォーマンスやアニメーション、映像作品を作ってきました。流れ着いて映像に今いますが、もしかするとこの先映像じゃなくなるかもしれないとも思っています。

<これまでの作品を振り返って>
20世紀後半、20代のころは、東京大学駒場寮に住み込み作品を制作していました。当時は他にもいろんなアーティストが同じ寮に滞在し、作品を作っていました。
総合芸術に力を入れる愛知県の愛知芸術文化センターは、年に一人映像作家を選び、助成金を出して作品制作をサポートするというプログラムがあるのですが、2001年に選ばれて「フーガの技法」という作品を制作しました。
これは、バッハのフーガの構想に即して撮影した抽象アニメーションの作品です。絵画を描くということと音楽を演奏するという事は映像じゃないと繋がりません。今では当たり前の技法ですが、そういうことをわざわざフィルムで撮影しました。
「海坂の絵巻」(東京都現代美術館所蔵)という作品は、ずっと手前に描かれているのが原画だったのですが、描いていく作業そのものをコマ撮りしていくと、線が伸びて絵が生成されていくという、それだけのシンプルなアニメーションの作品です。
あいちトリエンナーレ2016で上映した映像作品「Transmitted Light/EMAKI」は、プロジェクションマッピングのようなものもやりました。今や馴染みとなったプロジェクションマッピングではありますが、自分にとっては、非常に印象的な作品になりました。
ちょうど現在、金沢21世紀美術館で展示している作品は、4Kのプロジェクターを用意し、絵の具の層が良く見えるような生々しい作品を撮ったのですが、それを16㎜カメラで再撮影しています。「映像とは何だろう」というメディアに対する自問を取り上げ、「記録する媒体のあやふやさ」みたいなことをひとつテーマとして作品を制作しました。

<絵画と映像の関係性>
20代のころは、平面に絵を描くということにものすごく窮屈さを感じ、新宿でドローイングをしたりしていました。そのような活動が、横浜美術館の個展に繋がったと思っています。1990年代は、そのようなパフォーマンス作品を残すためには映像しか手段がなく、そこで初めて映像を扱うことになりました。
映像製作は自分にとってとても面白かったのですが、やってみると、自分の身体が映像に入ることが邪魔だと感じるようになりました。なぜなら、生成し、伸びていく線を見せたいのに、観客は作品より自分の背を見ることになってしまいます。自分自身が映像に入るのが嫌で、自分の姿を消す方法を模索した結果、古風ではありますがコマ撮りという方法にたどり着きました。今のようにiPhoneなどなく、1人1台パソコンがあるわけでもない時代です。当時の撮影機材(ハイエイトなど)ではコマ撮りが出来ませんでした。一瞬撮影してみたいなことを何度も繰り返しているうちに、すぐ機材が壊れてしまいました。そうやって試行錯誤しながら、映像製作に入っていきました。
自分の経験をとおして振り返ってみると、やはり絵画があって写真というものがあって、そして映画が生まれたのです。アニメーションは、初めて映画を撮ったと言われるリュミエールよりもっと前からあったと言うことも、そのあとになって制作されるようになったとも言えます。そもそもなぜ美術の中でこれだけ映像が溢れているのか、振り返ると、まず絵画があった上で、映像がどのように絵画あるいは美術全体に対して影響を与えていたかを考えたときに、その文脈の中で美術は必死に映像と戦ってきたし、向き合っていたと思います。ピカソやダリ、ウォーホルなど20世紀初頭の画家たちは、往々にしてみんな映像に向き合っていたのです。
自分に影響を与えたもののひとつにイメージフォーラムがあります。実験映画やいわゆるビデオアートなどの作品を見て、様々な作家に出会えたことが、自分に大きな影響を与えていると感じています。いろいろな作品をとおして、映像作品の歴史を勉強しました。美術の方では、90年代にはあまり知るチャンスはありませんでしたが、21世紀になってから、徐々にもう一つの現代アートの流れとして、いろいろな映像作品が発見されていきました。徐々に映像と美術の垣根がなくなっていき、なんとなく作画・映像というものと、美術が融合するような表現になっていったように思うのです。
絵画と映像の歴史や遷移の中で、自分は美術の方で制作活動をするようになっていきました。21世紀に入り、20世紀にはなかったであろう、いわゆるアートセンターが生まれ、公共の場で公開制作をすることが許してもらえるようになりました。府中市美術館の公開制作、青森のレジデンスプログラム、横浜美術館での公開制作、都市で開催される芸術祭は、そこでしか作れないものを展示しましょうということで、ここ10・20年は、様々な人たちと関わり、助けを借りて、映像を作るということ自体が試みに変わっていました。緊張感など作品を作る時のスタンスが、これまでは密室の世界だったのが、もう少し人との関係の中で生まれてくるように変わってきたと思います。

<アートプロジェクトとしてのとりくみ>
「0123」は、アートプロジェクトということでもあるのでご紹介すると、神奈川県立近代美術館、通称「鎌倉館」の閉館にあたり、最後に「二夜展」という映像インスタレーションを制作しました。これはドローイングのアニメーションなのですが、空間の中にぐるぐる回り続ける四角形のモチーフを投影するものです。鎌倉館のような場所で、観客の皆さんの光を浴びながら、皆さんの新しい記憶になってもらえるということがうれしかったです。
この展示でひとつ残念だったことは、一部映像としてきれいに残せなかったところがあったことです。池に映写させて、そこの光が木にあたり、これが本当に美しかったのですが、映像にはまったくきれいに映らなかったのです。この経験をとおして、映像にも残せない領域はあるなと思いました。というか、結局映像というのは残らない、まずそこが一番肝だなと思いました。映写機の具合によって映画は変わるわけですよね。映像は本当に生々しいもので、どんなに気合を入れて設置をしても、何日か後にどうなっているか分からないわけです。ある展示では、意図していたものと全く違う画角で展示されていたこともありましたが、それはそれで良いと感じました。大事なことは、どこまで責任を持つかということだと思います。映像は、絵画とか彫刻のように、物としての強度がまったくありません。それ自体がそれこそ夢・幻みたいなものだと思うのです。

<これからの映像作品について思うこと>
これまでの作品制作をとおして感じたのは、映像は「モノ」なのか「コト」なのかということです。究極はコトなのですが、それが美術作品として、どのようにコトを手渡していけるか。映像というのはクラウドやハードディスクだったりデータでしかなく、非常にあやふやなことはなのではないかと思うのですが、そのような中で、デジタルデータにおけるオリジナル、複製出来ないデータ「NFT」というものが出てきました。では自分の作品の管理を考えたときに、究極的なことを言うと、自分はもしかするとフィルムに戻して、フィルムであると同じように、もう一度絵を描くというのが良いかなと思ってしまいます。極端な話ですが。
今、デジタル作品をフィルムに置き換えるというのは王道のようで、たとえばハリウッドやジブリのアニメーションもフィルムに残しているようです。国立映画アーカイヴでも、フィルムというのは数百年もつという前提で、フィルムでの保存に力を入れています。実はデジタルというのは、デジタルのデータ自体はもちろん残るかもしれませんが、排出する方法としては、どんどん拡張して変わっていくのです。それと比べるとフィルムとして残す方がよいという説もあるようです。
最後に、自分はこれまで、映像というのはある意味夢みたいなもので、集団で見る夢のようなものとして機能してつくられたのだと思ってきました。日頃見れないものを見るのが夢なわけで、見れるものとして映画が発展してきました。皆が何かを確認して、ああすればよかった、こうすればよかったという作品もあれば、何か未来の危機を察知するような予兆としての作品もあるし、我を忘れるための映像経験もある。そういう次元で、今どのような映像が求められているのか、役に立っているのか、そのようなことを考えます。例えば、交流のあるアーティストの山城知佳子さんは、故郷の沖縄を題材にした映像作品を撮られるのですが、リサーチ系のような映像ではなく、映画のような技法で撮るのはなぜなのか、影響を受けたアーティストの大木裕之さんのように、どこからどこまでが映像で、編集も無限化するような作品はどうして出来るのかなど、いろいろなことを考えさせられます。それでは自分は何なのかと考えたとき、作品をもっと遡っていきたい、これからも「ズレて」いきたいと思うのです。

・金沢21世紀美術館で開催中の展覧会「コレクション展2 BLUE」
https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=45&d=1792

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