「アートプロジェクトの0123」レクチャーコース  第6回講義(毒山凡太朗さん)を振り返って

 「アートプロジェクトの0123」レクチャーコース第6回目(12/20(火))、今回はアーティスト毒山凡太朗さんの登壇です。
 毒山凡太朗さんは東日本大震災の原発事故をきっかけに作家活動を始めた方で、私もいくつかの作品は拝見していますが、アクティビズム的作品です。どんなお話しが聞けるかワクワクで受講しましたが、今回もここだけの話がでるなど貴重なレクチャーとなりました。

 毒山さんは意外な経歴の方で、大学では微生物の研究を専攻し東日本大震災までは東京の建築事務所でサラリーマンをしていましたが、故郷の福島が原発事故で一変したことに大きな衝撃を受けサラリーマンを辞めてアーティストになることを決意しました。とはいっても、どうしたら良いかわからなかったそうで、そんな時、会田誠さんの《自殺未遂マシーン》を見て、「こういう作品が私に向いてそうだ」と思い、美学校の教室に入りました。そして、福島の被災地のリサーチを開始します。
 初期作2015年の映像作品《あっち|Over there》は福島の仮設住宅の方々とワークショップをしながら制作したものです。また、映像作品《千年 たっても|Even After 1,000 years》は、福島の方々の気持ちを福島出身の高村智恵子に仮託したものです。一方で東京でのリサーチも始め、2016年の《ずっと夢見てる|Dreaming future》は、金曜日の深夜に街中で寝ている泥酔者たちに布をかけてまわる映像作品です。その布は日の丸を模しておりブラック企業大賞にノミネートされた企業のロゴが集まって赤い丸になっています(笑)。そして、2016年の《経済産業省第四分館|The 4th branch, METI》は、経産省前の反原発テントを取材したことから生まれました。

 その後、毒山さんは介護施設でアルバイトをしながら、アジアで日本が行ったことを掘り起こすリサーチの旅に出ます。まずは沖縄。それが《戦争は終わりました|War is Over》になります。さらに、台湾や韓国、サハリンへとリサーチは続き、《君之代》や《Public recording -Censored-》、《Always on My Mind》などに結実しました。
 2019年のあいちトリエンナーレにも参加しました。名古屋名物「ういろう」を使ったインスタレーション《Synchronized Cherry Blossom》です。そして、そこで起こった表現の不自由展事件にもいち早く対応し、サナトリウムや多賀宮、ReFreedom Aichi(リフリーダム・あいち)という活動を興します。それは美術館以外で話し合える場所、展示を見せられる場所を作り出す必要を感じたからでした。なお、ういろうの作品は、戦争中に小早川秋聲が画いた《國之楯》を引用した《令和之桜|Reiwa Cherry Blossoms – 75 Years After WWII》に展開しました。また、コロナ後福島とどう向き合ったら良いかを考えるため、2021年に開始した現在進行中のプロジェクト「IGENE」は、参加者と一緒に福島の原発事故被災地を巡るものです。
 毒山さんの作品に貫かれているものは、現代社会の中で声を出したいけれど声が出せない人たちの思いを発信することであり、それと過去の歴史の中に埋もれてしまった声を掘り起こすことです。それが毒山さんがサラリーマンを辞めてまでして行っているアート活動の原動力になっているのだと感じるレクチャーでした。(適宜、要約・言い換えなどしています。文責:forimalist

【参考】
 ・毒山凡太朗さんのホームページ。http://dokuyama.jp/
  「IGENEプロジェクト」に参加を希望される方はメールで申し込んでくださいとのこと。
 ・毒山凡太朗さんは、3月18日から開催される広島市現代美術館のリニューアルオープン記念特別展
 『Before/After』に出品・参加されます。会期は6月18日までですが、新作を発表されるそうです。
  https://www.hiroshima-moca.jp/renewal2023/
 ・毒山凡太朗さんのWikipedia。英語版ですが結構詳細です。
  https://en.wikipedia.org/wiki/Bontar%C5%8D_Dokuyama

 ―― 今年度のレクチャーコースは一部対面で講義を行っており、来場者からもオンライン受講者からも、様々な質問をいただきながら進めています。また、受講者はアーカイブも一定期間ご覧になれます。

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