作家名:ヘンリ・マティス
展覧会タイトル:Henri Matisse:The Path to Color
会場:東京都美術館
会期:2023年4月27日(木)~8月20日(日)
今回は珍しく現代アートではなく、現在開催中のマティス展の中から数点の作品について、無謀にも純粋に造形的観点(フォーマリズム的観点=「何を描くかではなく、どのように描くか」)から解説を試みます。これから展覧会を見に行かれる方に少しでも参考になればと思い、おこがましくも、いわば作品にキャプションを付けるつもりで書いてみました。
①《豪奢、静寂、逸楽》1904年。(本物は撮影不可のため、入口の看板を撮影)
マティス(1869-1954年)が野獣派と呼ばれるようになる1905年の前年、新印象派のポール・シニャック(1863-1935年)らが用いた点描画法を試みた作品です。美術館が付けたキャプションには「この作品でマティスは、目指していた『線と色彩の相克の調停』を実現するまでに至らなかった」とあります(文言は記憶で書いているので正確ではありません)。この〈線と色彩〉がマティス作品の全体を貫く考え方です。
〈線と色彩〉はスイス出身の美術史家ハインリヒ・ヴェルフリン(1864-1945年)の理論にもあるとおり、西洋近世絵画史を二項対立的に読み解く最も重要なキーワードです。簡単にいうと、西洋絵画史は線(=線的なもの。要するにデッサン)を重要視した時代(ルネッサンス、新古典主義)、色彩(=絵画的なもの。要するに色)を重要視した時代(ベネチア派、バロック、ロマン主義)が交互に現れてきているということです。画家個々人のレベルでも、いわば線派、色彩派があり、マティスは〈線〉と〈色彩〉の両方をバランス良く生かそうとしたわけです。(マティスのライバル、ピカソは線派でしょう。)
②《ジャズ》シリーズ。1945-47年。(撮影失念のため、ホームページをスクショ)
マティスの作品では、〈線と色彩〉という観点が、初期から、晩年の傑作のジャズシリーズなどの切り紙絵、そして最晩年の傑作のロザリオ礼拝堂(1948-51年)にまで貫かれています。つまり、切り紙絵は線と色彩を一体化することでそのふたつの相克を解決し、礼拝堂は壁に画いた線とステンドグラスから差し込む色彩、すなわち線と色彩を分離することによって解決したのです。
ちなみに、ロザリオ礼拝堂は、建物内空間に配された壁とステンドグラスを使った、今日でいうインスタレーションだともいえると思います。
③《眠る女性》1942年。
〈線と色彩〉という課題はマティスのデッサンにも表れています。このデッサンでは、形を探るために何度も引かれた木炭の線をあえてきれいに消していません。その一方で、この消し残しはこの女性モデルの立体感を表現するための陰影とはなっていません。つまり、この消し残しは陰影ではなく、いわば色彩なのです。それが、このデッサンの魅力を高めています。
④《座るバラ色の裸婦》1935-36年。
この裸婦像、何とも中途半端な未完成作とも見えます。色彩(絵具)は削られっぱなしのままだし、顔は目鼻さえ描かれていません。線はわずかに体と布の輪郭に入れられているだけです。マティスはこれ以上描き進めると線と色彩のバランスが崩れ、作品全体の魅力が失われると感じて筆を置いたに違いありません。
なお、次の作品《コリウールのフランス窓》(1914年)についてもいえますが、あるひとつの作品を制作するに際して、どの時点で筆を置くかということは、どの画家にとっても、いつも悩ましい問題です。
⑤《コリウールのフランス窓》1914年。(撮影不可だったのでフライヤーを撮影)
さて、マティスは〈線と色彩〉のほかに絵画の〈平面性〉も探求しました。線と色彩をより生かそうとすると、キャンバスの表面から奥へのイリュージョンは浅くなり、平面性が増すわけです。〈平面性〉は米国の美術評論家クレメント・グリーンバーグ(1909-94年)のフォーマリズム理論のとおり西洋近代絵画と現代絵画をつなぐモダニズムの最重要キーワードです。この作品の場合、右下にわずかに斜めの形を入れ、奥行を表すイリュージョン空間を残すことにより、完全な抽象的で平面的な絵画にならず、窓という具体的空間を暗示しています。
ちなみに、マティスは、後続の世代のカンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチのような完全な抽象には進まず、あくまでも実在空間との関係を保ちつつ、絵画の平面性を追究しました。しかし、特にこの作品などは、グリーンバーグが称揚した米国現代絵画のカラー・フィールド・ペインティングが表現した絵画空間と同質で、あたかも隔世遺伝したかのように感じます。
⑥《緑色の食器戸棚と静物》1928年。
マティスの作品の平面性の好例の2つめはこの作品。前項の《コリウールのフランス窓》よりは遥かに具体的なモチーフの形を残していますが、それらと作品全体の平面性との絶妙なバランスを作り出しているのは、食器戸棚の扉がわずかに手前に開いている点です。扉が閉じられていては棚の天板の奥行は表現できていないでしょう。天板の端に置かれたナイフや傾いた皿、左のネクタイのような布の形と相まって、作品全体の平面性を損なわない必要最低限の奥行を表してます。
ちなみに、こうした圧縮された奥行空間、それに伴う平面性は、マティスが多くを学んだセザンヌからの強い影響を感じます。
⑦《金魚鉢のある室内》1914年。(撮影不可だったのでフライヤーを撮影)
《コリウールのフランス窓》と同じ1914年に描かれた室内と窓をモチーフとしたこの作品も平面性を示す好例です。まず、空間が室内と窓の外の風景とに大きくふたつに分かれていますが、その距離は実際にはおそらく数百メートルは離れているはずです。しかし、特に室内の暗部と金魚鉢の水、右下の丸い器の水面を表現した青色と戸外の空や建物の屋根、水路の青色の鮮やかさはほとんど差がありません。それに加え、線で表現されている室内の植木鉢の植物の蔓と戸外の風景の階段とが一体になっているので、なおさら、その距離感を縮めています。つまり、《緑色の食器戸棚と静物》(1928年)と同様、実在空間の奥行が圧縮されて表現されており、平面性が強調されています。
⑧《赤の大きな室内》1948年。
全面鮮やかな赤。色彩の魅力に溢れた晩年の傑作のひとつ。端的にいうと、絵画の平面性とイリュージョン的奥行きのバランスを取っているのは右下のまるで敷物のような猫です。(猫にしては大きすぎるし、陰影が全くないので敷物にも見えます。)その猫の右前足がテーブルの脚とわずかに重なり、尾が隣の敷物とわずかに重なって、奥に歩いているように見えます。その効果によって、床まで赤く塗られた画面にも関わらず、空間に微妙な奥行き感を作り出し、平面性との心地よいバランスを保っています。
それと、注目すべきは壁に掛けられた2枚のマティス自身の画中画です。画中画内のモチーフとこの部屋内のモチーフがシンクロしており、そのことも平面性をより複雑化しています。物理的に平面である絵の中の絵と、実在のモチーフが配された室内を極限まで平面化して描くこと。このふたつの異なる平面性がひとつの画面にまとめられることで生まれる視覚的戸惑い。そういったことがこの作品の魅力を深いものにしているといえます。(ちなみに、マティスは画中画の手法をほかにも手掛けています。例えば、MoMA《赤いアトリエ》1911年、プーシキン美術館《バラ色のアトリエ》1911年。)
——— 若かりし頃、一応、油絵画家を志していた身として、その当時一番好きだったマティス作品について実践的視点で書いてみました。今回のマティス展は傑作が多く来日しています(あえて贅沢を言えば、MoMA所蔵の《ピアノのレッスン》(1916年)も見たかった)。会期末が迫るとともにかなりの混雑が予想されますので、早めに訪問されることをお勧めします。(文章、撮影:forimalist)
【参考】
展覧会ホームページ:https://matisse2023.exhibit.jp/
展覧会記事:https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/henri-matisse-the-path-to-color-report-202304